【Vol.21】帯留めのルーツと魅力について

【Vol.21】 帯留めのルーツと魅力について

明治に廃刀令が出て仕事を無くした刀の職人が、女性の装飾品として帯留めを作ったのが始まりです。

刀の小柄(こづか)、目貫(めぬき)、柄頭(つかがしら)などを帯留めに加工して使う事も花柳界で流行りました。

明治時代の帯留めは小さく、帯留め金具という物で組紐をフックの様に留めていました。

↑ フックの様に引っかけて留める

大正、昭和になり財閥が奥様や令嬢にこぞって良いものを作らせたため 職人さん達の技術が進歩して今では出来ない様な素敵な帯留めが残っています。

石田の私物の帯留め

最初は彫金の物がほとんどでしたが、宝石、象牙、鼈甲など色々贅を凝らした物も出来る様になりました。

池田重子先生のそばでコレクションの帯留めを写真に撮り番号を付けて保管する役目をさせていただいた事で沢山の事を覚えました。

今では贅沢な仕事の時間だったと思っています。

前回のYouTubeでは私の持っているほんの少しの帯留めを季節に合わせてご紹介しております。

そんな帯留めの魅力が伝わったら嬉しいです❣️

今では素敵な帯留めをお手頃価格で作っている作家さんが沢山いらっしゃいます。

【12月9日(木)〜13日(月)】まで 女流作家さんの《帯留め展》を開催致します。

着物のお洒落をランクアップさせる事うけあいの帯留め😊

ぜひ お手元にいかがですか✨

 

【Vol.20 】和装バッグのルーツはなぁに

【Vol.20】 和装バッグのルーツはなぁに

ずーっと昔 女性が、生まれた土地から遠くへ行く手段は “徒歩“ しかなく お伊勢参りなどの特別な行事以外は同じところで暮らしました。

そのため、バックは不要で懐や袖、帯の中に必要なものを入れていました。

そんな時代にあるのは 天然の竹か いぐさ、麻や絹などの素材でした。

今の様に時間に追われる事もないため 手作業で作った籠が重宝したと思われます。

 

前回のYouTube「きもの せっちゃんねる」では、私の籠コレクションをご紹介しております。

京都に行くたび 籠や珍しい更紗を見に行っていたのが「ちんぎれや」さんです。

ほとんどが茶籠 (外でお茶を点てる時に茶道具を入れた籠) だった物です。

編み方、形に手作業ならではの味が出ていて つい手に入れたくなっちゃうんです❗️

そんな籠の世界や更紗のお話までしております。

民藝 (※注釈1) の世界も大好きで、武相荘 (参考.1) や日本民藝館(参考.2)もよく行っておりました。

お着物で行くところとして、とてもおすすめで〜す🤗

次回は帯留めについて書いてみますので また読んでいただけたら嬉しいです❣️

注釈1 民藝 wikipediaより引用 https://ja.wikipedia.org/wiki/民芸運動

民芸運動民藝運動、みんげいうんどう)とは、1926年大正15年)、「日本民藝美術館設立趣意書」の発刊により開始された、日常的な暮らしの中で使われてきた手仕事日用品の中に「用の美」を見出し、活用する日本独自の運動。21世紀の現在でも活動が続けられている。「民芸」とは、民衆的工芸の意[1]。」

参考1 武相荘 https://buaiso.com

参考2 日本民藝館 https://mingeikan.or.jp

 

【Vol.19】帯締めの話

【Vol.19】帯締めの話

江戸末期に太鼓橋ができ、芸者衆がお太鼓結びをする様になり丸ぐけという綿を布で包んだ紐から、糸で組んだ帯締めが出回るようになります。

組紐は刀の下緒や木箱の紐として組まれていました。

明治時代に刀を持つことを禁止する廃刀令が実施され、組紐職人が帯を支える事と装飾も競って帯締めが広く使われる様になりました。

市松模様を組んでいる途中

丸台や高台、角台や綾竹台などの組台を用いて組まれたさまざまな組み方の帯締めを楽しむ事ができます。

↑ 丸台で組まれている 藤岡組紐店、藤岡潤全さん

コーディネートの締めくくりとして大切な役割を担っています。

帯締め一本で雰囲気がガラッと変わりますよね!

私のYouTubeでも小物使いとして沢山ご紹介しております。

今回の催事では私の大好きな藤岡組紐店さんの実演で4代目 藤岡潤全さんにお越し頂きました。

YouTubeに2人で出ておりますのでぜひご覧下さ~い🤗