【Vol.18】手拭いの話

【Vol.18】手拭いの話

手拭いと言えば、富田常雄作の姿三四郎のワンシーンを思い出す昭和30年生まれの私です(笑)

女性の下駄の鼻緒が切れた時、書生姿の三四郎が手拭いを歯で裂いてすげてくれる場面が出てきます。テレビで何度か放送されましたし、黒澤明監督で映画にもなっていますよ☺️

手拭いは江戸時代では手軽に洗えて何にでも使える布として広く普及しました。

注釈(ウィキペディアより):手ぬぐいの起源は諸説ありますが、その原形は古くは奈良時代とも言われ、当時は祭礼においての装身具として使用されていたと言われています。 江戸時代に入ると綿花の栽培が盛んになり、木綿の着物を作る際に出た端切れから、生活必需品としての「手ぬぐい」が生まれました。

現代では、落語家さんが小道具として使う場面が思い浮かびますよね。そして、モダンな日本料理屋さんにもお手拭きやテーブルナプキンとして使われていたりします。

歌舞伎「与話情浮名横櫛」の与三郎では豆絞りの手拭いが有名ですね。

10月22日のYouTubeチャンネル「きもの せっちゃんねる 」で、ご紹介している戸田屋さんこと”戸田屋商店”さんでは昔ながらの柄からモダンな柄まで500種類ぐらいあり迷ってしまいます❣️

お出かけする時、場所や季節を手拭いの柄に取り込んでみてはいかがでしょうか。自分好みの手拭いをぜひ見つけてみて下さい。

*こぼれ話*
昔はお配りものの手拭いを繋いで浴衣を作っていた事を思いだして20年ほど前に新しい手拭いを何本か繋いで浴衣を仕立てて「きものサロン」に載せていただきました。
写真がなくて残念😭

 

【Vol.17】婚礼衣装の今昔

【Vol.17】婚礼衣装の今昔

江戸時代では、藩のお姫様は打ち掛け。裕福な商人は引き振袖。そして町人は平服だったように思います。

明治になり藩制度がなくなり廃刀令が下り、刀の持ち歩きも禁止に。そして爵位制度になっていきます。

ー「1億人の昭和史日本人①三代の女たち上 明治・大正編」より

上流階級の社交場として鹿鳴館ができ、今までお姫様だった方が伯爵令嬢となりローブデコルテなどの洋装が取り入れられるようになりました。というような事から明治時代からは打ち掛けがなくなり引き振袖だけが残ったんだと思います。

ー石田レンタルの引き振袖

昭和初期には三井や三菱というような財閥が、こぞって職人さんのパトロンのような存在になり日本の良い物を作らせました。_その中で着物も豪華になっていき、特に婚礼衣装には力を入れて作らせたものが今でも残っています。

 

谷崎潤一郎作「細雪」

細雪の作中でも鶴子の婚礼衣装が出てきますが、日本三景 ※の模様を白、赤、黒の三枚重ねに描いた引き振袖を大事にしまってありました。

※注釈:ウィキペディアより

松島 宮城県宮城郡松島町を中心とした多島海
天橋立 京都府宮津市にある砂嘴
宮島(厳島) 広島県廿日市市にある厳島神社を中心とした島

ー「1億人の昭和史日本人①三代の女たち上 明治・大正編」より三枚重ねの婚礼衣装の女性

戦後になり凝った衣装が作れなくなり、昔のお姫様のような白無垢の打ち掛け姿が流行り、今でも純白というイメージで広く浸透していますね❣️

お二人の記念を純白のお着物姿で残してみませんか。

10月15日投稿の「きもの せっちゃんねる 」でも、白無垢と引き振袖をトルソーに着せた姿でご紹介致しました。2点の婚礼衣装は石田レンタルで扱っております。石田セレクトの一点ものです。是非ご覧ください♪

 

【VOL.16】根付けってなぁに?

【VOL.16】根付けってなぁに?

 

今回は書き始めを大奥風に書いてみました(笑)

昔の日本人が着物で暮らしておりました時代の事でございます。
帯にひっかけて落ちないようにした道具として作られました。

将軍様は家紋の入っている印籠を腰から下げておられました。
かの水戸黄門様の「この印籠が目に入らなぬか」というのが有名でございます。

ー石田コレクションの印籠

という事で(笑)

10月11日のYouTube「きものせっちゃんねる」ではそんな根付けのルーツを私の数少ない😅コレクションをお見せしながら説明しております。
江戸時代は殿方が煙草入れに凝り競って職人達に凝った細工を頼み仲間で見せ合って楽しんでいたのではと思います。
そんなコレクションが沢山見られる「たばこと塩の博物館」はぜひおすすめです!日本の職人さんの技に思わずため息が出てしまいます。

 

注釈(ウィキペディアより)
『根付(ねつけ、ねづけ)とは、日本の江戸時代に使われた留め具。煙草入れ、印籠、巾着や小型の革製鞄(お金、食べ物、筆記用具、薬、煙草など小間物を入れた)、矢立などを紐で帯から吊るし持ち歩くときに用いた。江戸時代から近代にかけての古根付と、昭和・平成以降の現代根付に大別される。

ー石田コレクションの小物入れ、煙管入れ、煙草入れ

親子の虎(19世紀中ごろ 第2代 宮坂白竜作)ウォルターズ美術館蔵
製作国の日本では服装の中心が着物から洋服に移り変わるとともに使う機会が減ったが、外国人に美術面で評価されるようになり、印籠と共に日本国外で骨董的な蒐集対象となった。』

 

そして現代では女性の帯飾りとして広く楽しい物が作られていますね。
戦後にがま口というお財布ができ、帯の間に挟んでお買い物に行っていたので下に落ちないように鈴(音が楽しいのと落ちたらすぐわかるように)などが根付けとしてよく使われました。
幸田文さん原作映画「流れる」はその当時の花柳界を舞台に女中さんの目から日常が語られているのでぜひ見てみて下さい!


女性もバックを持つようになると帯の間や懐、袂にいれる習慣がなくなり、帯揚げも帯締めも使わなくても手軽に結べる半幅帯が最近は人気です!種類も豊富で素敵なデザインのものが沢山ありますね❣️

そんな時にひとつ飾りに取り入れるとお洒落度が上がる事うけあい。
皆様もルールにそこまで囚われずに根付けに限らず足しこみのおしゃれしてみて下さ〜い🤗

【vol.15】江戸小紋て何?

【vol.15】江戸小紋て何?

お茶をなさる方なら一枚はお持ちではないでしょうか。
その成り立ちは江戸時代に武士が裃(かみしも)

注釈:武士の正装で、現代で言うと「制服」のようなもの。 肩衣(かたぎぬ)と呼ばれる肩が大きく張った独特の形の上衣と、下にはく袴(はかま)をセットにして着用します。 歌舞伎では、さまざまな裃が見られますが、色やデザインが実際より派手なものも多く、役の性格や身分などによって使い分けられています。

を用いた時に自分の藩の模様を決めて伊勢型紙を作らせ型染めの技法で染めたのが始まりだと聞いています。

ー島津藩のお定め柄の大小霰

ー紀州藩のお定め柄の鮫小紋 

それが庶民の着物の柄に用いられ現代では茶道や儀式の際に女性が色無地がわりに着用する様になりました。
家紋を付けなければ名古屋仕立ての染め帯から織の袋帯まで幅広くお召しいただけます。

なので染めの着物では一枚あるととても重宝な着物です。また紋を付ければ色無地と同じランクになり第一正装としてお召しになれます。

今回の催事では私が30年以上にわたり懇意にしている富田染工芸さんの江戸小紋と更紗染めをご紹介しております。

昔は自分好みの呉服屋さんがあり、そちらの店主さんに相談して別誂する事が楽しみでもあり出来上がってくる反物にわくわくして待つ時間を楽しんだのではないでしょうか。

現代はなんでも出来る時代になりましたね。昔の日本女性にとっては唯一の秘めた気持ちの表現だったような気がします。

江戸時代から続く染めの技法であれば先程ご紹介した富田染工芸さんが6代続く江戸小紋や更紗染め屋さんなのも頷けます。

 

私の知っている限りでは作家の宇野千代さんや私の大好きな沢村貞子さんなどのご注文の染めをされていました。最盛期には染上がりをトラック一台いっぱいに積んでご注文店に毎日のようにお届けしていたそうです。

「職人が何人もいた昔の活気溢れる工房の時代に負けない様な着物を作りながら制作技法や面白さをお客様にお伝えしていただければと思います。」

と語る高史さん。小さい頃からその場にいて職人さん達を間近で見てきたからこそですね!着物業界の未来に不安を抱いていた私も元気をいただいた企画展になりました。

高史君、いらしていただいだいた皆様、お買い上げいただいた皆様、本当にありがとうございました☺️

おまけ
この度江戸小紋や更紗を富田高史×石田節子オリジナルとして石田節子呉服店にて販売していこうと決めました!
もちろんお客様の別誂も承ります。時代を遡り私も挑戦しようと思いました!
これからも素敵なお着物を着ていただく為にもまだまだ頑張ってみますので応援よろしくお願い致しまーす🤗
YouTubeでお披露目できる日が来ますように🙏

【Vol.14】帯結びの話

【Vol.14】帯結びの話

ずーっと昔は布を巻いて紐で結ぶという極めてシンプルな物が、だんだん文化が進むにつれてファッション(形)として着物や帯になり着方も変わり現代に至っています。帯結びも前で結んでいた物を後ろで結ぶようになり結び方も色々になりました。その中でも一番オーソドックスな帯結びがお太鼓結び。

注釈:実は、江戸時代後期の江東区の亀戸天神にある太鼓橋が由来なのだそうです。 その際に渡り初めをした芸者さんたちが、当時新しかったこの結び方を披露し、その後大流行したのだとか。 そして帯の形が半円形の太鼓橋に似ていたため「太鼓結び」と呼ばれるようになったのだそうです。

私が小さい頃(昭和30年代)祖母がいていつも着物を着て、母もおりにつけ着物を着ていたのでまだ着物は身近にありました。ウールの着物と羽織のお対を姉と私に母が縫ってくれお正月には一家揃って着物を着て、大晦日から作ってくれた母手作りのおせち料理とお雑煮をいただくのが子供時代のとっておきの思い出です☺️

9月27日に投稿のYouTube「きものせっちゃんねる」では、昭和初期に作られた引き抜き柄の腹合わせ帯をトルソーに締めてみました。締め方も角出し結びというテレビの時代劇でお馴染みの結び方になっております。

後、私が自分で後ろで結ぶとどうなるかをお見せしています💦結果、肩と背中の柔軟性がためされる事に😭後ろで流れるように美しく結べたら、おーって思っていただけたのに残念です😅

今回はチャレンジせっちゃんを楽しんでいただけたら幸いです❣️